- 自由な人生を手に入れたい
- そのためにまず何をしたらいいか知りたい
- 自由な人生を手にする考え方を知りたい
人生は変えられる、石井貴士です。
それでは人生は変えられる、インタビュー番外編として、清水君が自由を手に入れるための道のりを紹介していきたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
小学校・中学校の清水少年とは
清水君は、どういう人生送ってきたのか?ということをどんどん時系列で聞いていきたいな、と思うんですけれども、まずその、僕とは慶応大学では一緒にはなるんですけれども、その前はどんな子供だったとか。
小学校、中学校とかちょっと聞いて行きたい、どんな子供だったか。
今仕事にも繋がるんだけど、プログラムはもうものすごく好きで。
小学校の時から!?w
そう、そう、そう。
小学校でプログラミングやってる人いるの!?
いなかった!いなかった! 小学校1年ぐらいの頃にパソコン・・・当時マイコンとかパソコンとかいったのが出てきて、で、僕もうそれめっちゃ好きで、プログラムを書くのが。
でも家にないから、近所のダイエーに行って、プログラムコーナーで、ずーっとその本を見ながらプログラム書いて、その壁打ちテニスみたいな。
うん、うん、うん。ある、ある、ある。
書いてたの。でもすんごい長いんだけど。その・・・保存とかできないから、もうお店が終わって、店が閉まっちゃうと、それ消えちゃうの。
うん、うん、うん。
だから次の日また行って、同じコードをまた書いて。
ビル・ゲイツみたいなやつじゃん!
すごいじゃんそれ!
偉人じゃん!
めっちゃ楽しかったんだよね!それが!
偉人です!
僕、小学校4年5年ぐらいのときに、友達がMSXって。
あ、MSX!うん、うん、うん。
MSXを持ってる友達がいて、そこに行って初めてパソコンを知ったっていうのがあって、でもパソコンの時代が、こんなに来るとは思わなかったけど。やっぱりパソコンやってる人は、絶対これが来る!って言ってたよね。
あ、言ってた?
うん。
Windowsとか出るより遥かに前に、このパソコンの時代とか、当時マイコンっていう言葉だったりとか。
うん、うん、うん。
そういう時代が来るなっていう時に、それ小学生プログラム書けるんだ?
まあその当時は、そのそういう本に載ってるプログラムそのまま書き写して、意味も分からずね、全く。全く同じように書けば、全く同じように動くから、それがすごい楽しいと思った。
ファミコンとかさ、俺らが小学校3、4年の頃に出たじゃん。で、ゲームももちろんすごく楽しいんだけど、それ以上に自分でゲームを作るっていう方がめちゃくちゃ楽しくて。
でも、それね、自分で作ったものを他の人に楽しんでもらうんだ?
うん。
原点じゃん!
そう、それが原体験なんだよ。
めちゃめちゃ原点だ!今の!
すごく下手なんだけど、自分が作ったものを遊んでもらって、楽しんでくれたり、もっとこここうしたら良いよ!みたいな話が出て。
それをこうどんどんブラッシュアップしてみたいのが、もうすごい楽しい!というのがあって。それが、だから、もうずっと身体に残ってたんだろうね。すごい楽しさが。
うん、うん、そうか! で、中学校・高校は?
考古学に目覚めた高校時代
中学校・高校も、そのさっき言ったMSXをようやく初めて買ってもらうことができて、MSXで、ずっとプログラムを書いて。
高校の時に一度そこの興味は薄れて、大学行く頃にはもうなんかMASTER KEATONって、漫画の影響でさ。世界史、ま、考古学ね。
考古学・・・
あ!MASTER KEATON!分かる分かる!
分かるでしょ!
あの考古学者でしょ? 見てた! 見てた! 見てた!
あれを見て、俺、考古学者になる!っていうふうに1回、高校2・3年くらいの頃に思っちゃったんだよね。
え?俺も高校2・3年の頃、考古学者目指してた話したっけ?
それは知らんかった!w
え?マジで!?僕、東大の考古学部を受けたくて。
あ、そうなんだ!w
うん!それで結局1年浪人して、浪人した時にやっぱり東大の考古学部、昔からやりたかった考古学部に行こう!と。経済学部じゃなくてって思って、浪人してたの。
あ、そう!?
むちゃむちゃ考古学部に行きたかった。
そうなんだね!
一緒じゃん!そのね。
そうそう!なぜか考古学へ繋がりました。
今初めて知ったけどね!友達関係2003年からの。え?17年友達をして、初めて考古学の話を聞けた。
そう、そう。で、まあ結局、それで文学部の慶応ってさ、1年生の時は基礎教養で、2年生の時に専攻決めるからさ、とりあえず入って世界史勉強したんだけど、全然面白くないな!ってなって。特に考古学者。
考古学者って地味で。
地味?
うん! ま〜なんか思ってたのと全然違うなと思って。で、2年で専攻決める時に、そこで図書館情報学ってのあるって知ったのね。
うん。
学校のね、こんななんか・・・なんか素晴らしい学科が文学部にあるの?
僕も好きだしそれは。で、入ってちょうどやっぱインターネットがさ、その頃Windows95とかの時代じゃない。
そう!出た!出た!うん!
もうめちゃくちゃそのパソコンが一般的に広まって、インターネットが出てきて、で、これからその・・・なんか世の中的にそっち行くぞ!って言う時に、先生もやっぱ、そういうのが好きな人が集まったんだね。
うん、うん、うん、うん。
SFCよりも前、SFCができる前に。
SFCってあの・・・、湘南藤沢キャンパスの略です。
はい、慶応の。あれよりも前の段階で、そういう好きな先生が集まって。
うん。
で、そういう最先端のことを勉強させてもらって、その流れで仕事もこれで行こうとっていうふうに思ったんだよね。
2年8カ月で退職、のち起業
うん、うん、うん。で、NECを受けて受かって。で、そこではもうどういう仕事を大企業時代はやったの?
その頃はシステム開発本部ってとこに所属になって。業務システム。
僕が入ってたのは、特にメーカーの基幹システム生産管理とかそいういうところの、それぞれの企業に応じた、業務の設計をして、それをパソコンで管理できるにしたりとか。そういうのを請け負って作った。
で、辞めて起業したのは何年?
起業したのが2000年。
何歳の時?
25歳の時。
25で株式会社きいなりつくって。
最初まあ有限会社。
あ、有限会社。
資本金はギリギリ2年半務めて300万貯まって、もう生まれて初めての札束を握って・・・
そうだよね!そうだよね!
手に持って銀行に300万出して会社つくって。で、そうだね当時はそれくらいないと作れなかったから。やっと!って感じだったかな。
起業当初はどんな仕事をしていたのか
その会社・・・名前インフォアローっていう会社なんだけれども、そのインフォアローはどんな事業形態からスタートしたの? 最初の受注とかがすごい知りたい。
あ、最初ね、最初 僕、情報処理技術者試験っていうのがあって、その国家資格なんだけど、そういうなんかあるんだよ。一種・二種とか。そういう情報処理に関わる人の英検みたいなのがあって。
それを僕、結構その会社にいた当時にとってて、それを教える塾を最初はやろうと思ったんだよね。
うん、うん、うん、うん。
それで始めたんだけど、当時その専門学校の先生として、僕、フリーランスの形で教えてて。で、そのまま自分でもやってこうと思ってたんだけど、やってみたら、毎週同じ時間にそこに行って教えなきゃいけなくて。
それが結局、何かこれ会社に勤めてた時とあんまり自由さ変わんないなと思って。
確かにね。
やってみたらこれ全然向いてないから、じゃあやっぱりシステム制作の方に会社の事業をシフトしようと思って。それからまぁ最初はね、自社サービスやっぱり作ってたんだよね。
うん。
それも予約管理みたいな。なんか例えばテニススクールとかさ、会議室とかそういう空き室の予約をネット上で受け付けるみたいなのを、自前で作って。
で、それを最初誰か例えば塾だのさ、そういうスクールで使ってくれる人いたら、ここ売りますよ!みたいな感じで出してたの。
起業後最初に手掛けた大きな仕事
で、全くそれは売れなかったんだけど。飲食店向けのサービスをしてる会社が見つけてくれて、うちとこれは共同して是非このシステム使いたいから、うちのシステムとして、もっとカスタマイズしたものを作ってくれないかって話になって。
向こうから見つけてくれた?
そう、そう、そう。それが最初の年だよね。
もうあの・・・設立した1年目でそういうことがあって、それは結構大きい企業だったの。もう今は上場して凄い大企業になってるんだけど。
そういう上場前のすごく社長も若くて、あのやる気・・・。ネットにも積極的に出ていこうって会社で、そういう時にただ社内でそういう作れるやついなかったから、ちょうどうちもこういうものを作りたかったんだって話があって。
で、見つけてもらって、それが最初のお仕事だったかな。
へ〜。じゃ無料でやって、見つけてもらうって、なんかそれも原点だね。それも何か繋がってるね!やってることがなんか、そういうところ似てるんだ。
石井のココロ・プラネットも手掛けた
で、そこでその後は結構システムやって、その報酬があってみたいなの繰り返している中で。僕と出会ったの?2003年
そうだね。最初・・・うん。やっぱホームページを作るっていう仕事が世の中的にすごく多かったから。
あ、そうだね、そう。
当時は誰も作れる人がいなくて、システム制作会社というよりも、そのホームページ制作の需要がすごくあったから、結構、作りまくってたんだけど初期の頃は。
で、その流れで、共通の友達がいて、石井君と共通の友達がいて、それで紹介してもらって、今度会社を建てる人がいるって言うんで、で最初ホームページ作って。
あ〜そうか、そうか!
そこからの出会いで、2003年に僕のホームページ作ってもらって、2005年にココロ・プラネットというデカいシステムを。
うん、SNSね。
SNSというデカいシステムを作っていただいて、で、今考えればなんだけど、スマイル機能っていう、その今で言ういいね!機能とか、あれうち絶対世界初だったよね?
そうだった?
他絶対無いもん!あとシェアボタン!
ね!もうどこか先かって分かんないけど
いや絶対!俺たちが先だよ! 2005年の7月4日リリースだったんだけど、その時点で、いいね!ボタンがあったのうちだけのシェアボタンがあったのもうちだけ。で、これ実装してたのは、我々のコンビだけだったから。
そうだね。
なんかマーク・ザッカーバーグに、本当なり損ねたんだけど。3年早かったのかな?
う〜ん、早かった。タイミングの問題あったよね。
タイミングは3年早かったってなるよね。
作ってるものは、ほんとすごい良かったと思う。
ねー!いやだから本当にね、もし僕がSNSであれがブレイクしていたら、どうなっていたのかっていう。その人生はあったかもしれないけど、今考えるとなんかその人生も無い気がして。
そこまで傷が深くなる前に、やめられなかったのかな?って言う。そこが逆にあるかな?
ココロ・プラネットのシステムが・・・
でも結局ね、あれ清水君は手を途中で当然、離れるわけなんだけれども、で、その後は結局ね、あのシステム会社さんに壊されたのシステムが。
あ〜そんなことあるの?
いじってたら間違えて、全員の顔写真をランダムにしちゃいましたって。だからSNSで自分の顔写真が、他の人になったら最悪ですよ! 俺じゃね〜!みたいな人になっちゃって!
で、そのバックアップを取ってませんみたいな感じで、これはもう終了するしかないと。
だから、なんとか一週間ぐらい復旧できませんかって言ったら、もうちょっとやっちゃったんで、もうできないですねって。で、そこで2008年の5月にココロ・プラネットは完全に終了したっていう。
そのタイミングで無くなって、僕はすごくホッとしたと言うか。
うん、うん、うん。
これでもうランニングコストが出て行かないんだ!って。
あ〜そうか!
そうでもしないとやめられなかったんだね!
そうでもしないとやめられなかった!僕はもう自分の使命で、これを借金してでもやるんだ!って言って。かさんで8,000万から1億ぐらい。
あ〜そうなんだ!
結局、使って終わってるから
いや〜よく金使うなって思ってたよあの時も。
そうだよね。
なんかさ、こんなに人いるか?ってくらいさ、人が集まってさ。
社員17人ぐらいの体制だったから、そのぐらいで全員でやってくんだみたいに思ってたんだけれども。
まあ全然やっぱりね、基幹サービスであるこのココロ・プラネットが全く収益化できなかったっていうのもあって。
それで僕は2008年には終わっている。あの大借金時代が到来するわけなんですけれども。
そうだね・・・
そこで僕は2008年の8月のこの1分間勉強法ですね、これ。この1分間勉強法によって、これが57万部出たの。
うん、うん、うん。
だから印税で8,000万。だから、ちょうどココロ・プラネットのマイナス分が、この本1冊で返ってきたんだよ。
いや〜ほんとだよね!
ほんと奇跡的な感じの、ちょうどタイミング的にもさ、そのもうダメだー!ていうさあ、どん底の時にちょうどこれがさ、出版されてさ。
そう、そう、そう、そう、そう。
すごいよね!
それがさ、もうちょっと遅かったら、もう繋げなかったわけじゃん。
いやもう繋げない!
本来繋げない!ゾンビ状態でやってる中で、もう借金ある 返さなきゃ、どうしようって中で、この本が出て突如。
すごいよね!
必ず何かそういうのが出てくるね。だからそうやって追い込まれないとダメなんじゃない?
追い込まれないとダメなの!?
いつも追い込まれてるんだけど、なんか追い込まれて追い込まれて、こうブレイクしていくみたいな感じで。
着実に人生を上がっていくコツ
かたや僕がこうやって、ジェットコースターのような人生を送っている中ね。同じ卒業年度で慶応でさ、で、清水君はこう着実に上がって、だって下がったことないんじゃない?
下がる・・・う〜ん
そういうものを選んでるのかな? 続ければ続けるほど積み上がっていくものをシステムの保守にしても、なんか一遍納めたシステムってなかなかおわらないじゃない。
あー確かに!
それがなんか件数増えていくごとに基本的には右肩上がりで、上がっていくっていうものを選んでるかな。
システムがある月額保守メンテナンス、システムを作る。月額保守メンテナンスが積み重なり、なおかつそれをやってる中で、伝助がブレイクしっていうその何か、波状効果で積み上がるものしかやってないの?
う〜ん
しかも広告費をかけてとか、全くやってないじゃん。
うん、うん。
どんだけ広告費かけて、突っ込んで沈んでいったか!みたいな。数千万たぶん僕、広告費をかけてますからね。ていう中でそのね、積み上げ人生だなっていう感じに思いますけど。
伝助以降も様々なことを手掛けた
それで2007年に伝助が出て、そこから明快キングまでは明快キングは2019年7月にスタートしてるんで。ここで12年間のま、空白って言っていいのか分かんないけど。
うん。ま、でも色々あの・・・そのいろんな会社のシステムを作ったりはずっと繰り返してたし、いろんなサービスを作っては試しっていうことはやってた、ずっと。
じゃあ伝助以降もずっとやってはいるけど、伝助以上にはブレイクしたのは出てないって言うだけ?
そうだね。いろんなもの作ったね、本当に。もう100個のうち1個ぐらいよ。本当に世の中に認知されて残るっていうのは。
うん。
多分やっぱりこの2人の違いというのは、僕は、ほらお金をかけて失敗する人じゃない。でも、お金をかけないで失敗してるから、そこがやっぱり違う。
そうだね。業種的にもプログラムってさ、人件費だけじゃない? それもね、人を雇っているわけじゃなく僕は自分が単純に動いた分だけのものなんで。
そうか、そうか。
うん。全然元手がかかんないんだよね。
あ〜確かにね!
それは大きいと思う。
清水さんの考える自由になるための第一歩
じゃちょっと最後にですね、こう皆さんに自由になるための第一歩っていう、アドバイスをしていただたいんですが。うん、何から始めたら、こういう自由な人になれるのかっていう。
僕も見習いたい! 僕はちょっとアップダウンが激しいので、どこかで安定したい・・・安定したいは無いか、安定したらいは無いけど、安泰になりたいっていうのがあるかな。
精神的に余裕を持ちながら、余裕の上でアップダウンをしたい。
うん。なんだろうね。僕やっぱり一番の市場の価値観ってのは、その自分の自由。健康とか時間と、そういうものが大事で、だからもういくらなんだろう。
生活のお金が入って来たとしても、それでなんか自分が何かしらに常に追われてたりとかっていうのは、嫌なんだよね。
うん。
だからとにかく僕がいなくても、何かしらこう自由に、勝手に動いてくれてるようなこう仕組みっていうのを作りたくて。
それがたまたま、自分のスキルに合っていたのは、プログラムっていうものだった。だけど、それって結構なんだろう。あの世の中に色々今あると思ってて。
要はとにかく数打つ事って大事だと思ってて。そして初期費用がかからない。簡単に始められるってのは、すごく大事なことだと思うんだけど。
例えばYouTubeにしても、あの始めるってほとんどリスクが無いじゃ無い。
確かにお金かからない。
iPhone1台あれば始められるし、で、まあやってみて合わなかったらやめればいいだけの話だし。
うん。
だからなんかそういう事って、結構、今たくさんあると思ってて。簡単に始められる、ノーリスクで始められて、で、簡単にやめられる。だからそういうものを沢山試してみて、色んなところに種をまくっていうのは、一番その自由に近づく道かなというふうに、何が当たるか分からないから。
そうそう、本当にもうこれは。
で、他の人が言ってる事って既にもうなんかいろんな人やってることだったりするから、その分だけなんか、成功確率が下がっちゃうのね。
そのもう、だからそれは、なんか自分で見つけるしかないと思ってて。うん、そういうものほど、あの人が知らないものほど、大きく育つ可能性が残されているかな。
人が知らないこと。
うん、うん。それは何か、僕だってこう何が育つかなんて事前に全く分かんなかったわけで、ただそれは結果論として、色々やった結果。
自分でも予想がつかなかったものが、残るってことが。
確かにね。
こういうのがほとんどだから。とにかく何か自分なりの種をまくことが大事かなっていう。
そうですね。特にYouTubeなんてね、無料でタネをまけて、もう僕も本当いろいろ数々動画を600本やって、ずっとバズらなくて、なぜかスペイン風邪でしたからね。
分かんないよね。それもう狙ったわけじゃないでしょ?
狙って・・・いや毎回狙ってるから。狙ってないんじゃなくて、全部が狙ってる。
そうだね。
今日の来るか! 今日も来ないか!今日も来るか、今日も来ないか。この間をずっと繰り返されてる感じだから。
うん。
とにかくね。あの無料で今は種をまける機会がネット社会で増えたから。
いっぱい種をまくと、何かが生まれるかもしれないから、とにかく無料でできる何かを始めるという感じでよろしいでしょうか。
そうですね。
はい、そんな感じで、インタビューをお送りしました。
今日もありがとうございました。
ありがとうございました。
是非、皆さんも自由への第一歩を踏み出すために、何か無料でいいので、失敗しても傷つかないような失敗しても、立ち直れないようなものではなくて、失敗しても立ち直れるものを始めていただきたいなと思います。
今回もご視聴ありがとうございました。
人生を変える学びがあったという方は、高評価とチャンネル登録よろしくお願いいたします。