【人生が変わる46分】石井貴士「人生は変えられる」改めて自己紹介、チャンネル紹介します!【永久保存版】

  • 初めてこのチャンネルに来たよという人
  • 石井貴士がどんな人なのか知りたい人
  • 石井貴士 人生は変えられるのチャンネルコンセプトが知りたい人

人生は変えられる、石井貴士です。

今回は石井貴士、人生は変えられる、改めて自己紹介、チャンネル紹介します、というテーマでお届けしていきます。
チャンネル登録がまだの方は、是非チャンネル登録もよろしくお願いいたします。

この動画を見ることで、あなたが得られる未来。
それは石井貴士がどんな人か分かる、石井貴士 人生は変えられる、このチャンネルがどんなチャンネルか分かる、という未来です。

まずこのチャンネルをやっている、石井貴士というのはどういう人なのか、そしてこの人生は変えられるのチャンネルはどういうチャンネルなのかを、知っていただけたらと思って、今回この動画を作りますので、是非最後までこの動画ご覧ください。

まずは結論からいきましょう。

今回の動画から学べる、人生を変える3つのポイント

その①石井貴士自己紹介します 3ヶ月で偏差値30から70に 人と話したことがなかった状態からアナウンサーに ゼロからスタートしてベストセラー作家に

②石井貴士のミッションを紹介します。人生は変えられる!そのことを伝えたい。そのために生きてます

③石井貴士 人生は変えられる チャンネル紹介します。人生が変わる魔法の情報の提供、人生が変わる本の紹介、人生は変えられるインタビュー

この3つについてお伝えしていきます。

この動画はどんな人にとって有益なのかと言うと、

初めてこのチャンネルに来たよという人
石井貴士がどんな人なのか知りたい人
石井貴士 人生は変えられるのチャンネルコンセプトが知りたい人です。

なぜなら最近動画の再生数、お陰様で増えているんですけれども、この石井貴士て一体どんな人なの?このチャンネルどんなチャンネルなの?という人も増えてきたからです。

なので今回、改めて自己紹介とチャンネルの紹介をしていきたいと思います。

今回なぜ、この動画を撮ろうと思ったのかというと、石井貴士は一体何者なんだとそういう人が増えてきたからです。

圧倒的な論理と圧倒的なスピリチュアルを持っている、何者なんだというわけです。

そして動画をいっぱい観てるけど、このチャンネルってどんなコンセプトだっけ?と分からなくなっている方も多いと思いますので、今回改めて説明していきます。

では人生を変える3つのポイント、具体的に一つ一つ見ていきましょう。

①石井貴士自己紹介します。3ヶ月で偏差値30から70に。人と話したことがなかった状態からアナウンサーに。ゼロからスタートしてベストセラー作家に

ということで、僕の自己紹介していきたいと思います。

改めて自己紹介をすると、1973年9月生まれです。愛知県名古屋市の病院で生まれました。イチロー選手と誕生日も同じ、名古屋生まれ天秤座ということが一緒です。

イチロー選手と同じ歳で、同じ愛知県名古屋市出身の天秤座です。
生まれた病院は名古屋だったんですけれども、育ちはずーっと東京です。
元々小学校の頃は勉強もできない、スポーツもできない、絵も描けない、音楽もできない、っていう感じで、本当に何をやってもできないという子供でした。
特にスポーツはできなくて、少年野球のチームに入っていたんですけど、3軍の補欠だったんです。
足があまりにも遅くて、レフトゴロアウトとかライトゴロアウトとか、もうとにかく運動神経も悪いわ!足も遅いわ!で、運動面はからきしダメでした。

何をやっても平均以下どころか、かなりダメなレベル。
これが僕だったんですね。

そんな僕が中学1年の時に覚醒しました。

どんな覚醒をしたのか、突然思ったんです。

モテたい!とモテたい!という願望が、僕の中に芽生えたんです。

このままだと全てが人並み以下の人生になってしまう、ということは、ずーっとモテない人生が継続してしまうじゃないかと。

そんなのは嫌だ!一度きりの人生なんだから、モテモテの人生を送りたい!

ではどういう人がモテるのかというと、スポーツが出来たり、勉強ができたり、音楽ができたりと。

何か一芸に秀でてる人、こういう人がモテるんじゃないかというふうに、僕は当時、考えたんです。

それに引き換え僕は何をやってもできないと。

だったら何か一芸を身につけるしかないと思って、運動はダメだし、別にルックスがいいわけじゃないから、芸能人にもなれないし、歌も歌えないしとか、散々考えた挙句、消去法で勉強だけが残ったんです。

そうか、勉強だったら人の2倍 3倍、努力すればいいだけなんだから、勉強に人生をかけよう!とその時に思ったんです。

生まれつきの才能が何もないから、勉強しか残っていなかった。

これが中学1年生の時の僕が考えたことでした。

そうやって自分の中で覚醒した!と思ったんですけども、当然勉強もできないままで、勉強をやろう!と考えただけだったので、特に何が起きているわけでもありません。。

そんな中、僕に奇跡が訪れました。

英語の先生との出会いで、偏差値70に

中学1年生の時に、周藤先生という英語の先生と出会うんです。

そのカリスマ先生と出会ったことで、僕は突然成績が上がるということを体験します。

その周藤先生どんな先生だったのかって言うと、予習はするな時間の無駄だ!
復習はするな時間の無駄だ!俺の授業だけ聞いていれば、俺の授業週に1回90分の授業だけで偏差値70にしてやる!って言う先生だったんです。

予習復習をさせる先生っていうのは、自分の授業の時間の中では生徒の成績を上げることができない三流の先生なんだというふうに言ったんです。

世の中は予習をさせる先生だったり、復習をさせる先生がいますが、そういった先生は全員三流だと完全に痺れました!

もう周藤先生について行こう!と思いました。

そしたら本当に3ヶ月で、僕は英語の偏差値が70になって、中学2年の時も偏差値が70だったんです。

高校受験は数学で決まるんだから、家では数学の勉強だけしてろというふうに周藤先生が言ったので、英語の勉強は家では一切せずに数学の勉強ばっかりしてました。

そしたらさすがにダメな僕でも、人の2倍 3倍、数学ばっかりやるので数学の偏差値が70になったんです。

中学2年の終わりには英語の偏差値は70、数学の偏差値も70ということになって、これならば慶応高校に行けるかもしれない。

慶応高校に行ったら、モテモテの人生が待っているかもしれないというふうに思って、頑張ろうとした訳なんです。

にも関わらず、ここで悲劇が訪れます。

塾の方針転換で、偏差値が急降下

中学3年生になった瞬間に塾の方針が変わりまして、周藤先生は実力がある先生なので、一番下のクラスを受け持たせます。

一番上のクラスには、今日から違う先生が来ますって、突然言われたんですよ。

ちょっと待ってください!周藤先生がいたから、その塾に通っていたのにと思いました。

それで実際に塾を辞めてしまう子供がいたりとか、親は何でなんだ!っていうふうに塾に怒鳴り込みに行ったりとか、そういうことが起きました。

では新しい先生は、どういう先生だったのか。予習が大切です。予習をしないで、僕の授業が分かるということはありません。

復習が大切です。復習をしないと、何も身につきません。くれぐれも僕の90分の授業だけで、成績が上がるとは思わないでくださいっていう先生が来たんです。

真逆の方針です。

それで家で英語の勉強するっていうことを全くしたことがなくて、周藤を先生のお陰だけで偏差値70になっていたので、当然僕の英語の偏差値は下がります。

なんと偏差値55まで、3ヶ月で下がりました。

そしてなんとかリカバリーしたいと思って、他の塾に通ったりもしたんですけれどもなかなか英語の成績も、元通りになることはありませんでした。

僕の中学時代っていうのは、周藤先生にハシゴをかけてもらってそしてハシゴを外されると、こういう中学3年間だったんですね。

では、第一志望の慶応高校に受かったのかと言うと、これが酷い落ち方をしたんです。

どういう落ち方だったのかって言うと、1次試験 2次試験であるんですけど、1次試験が247人とか受かるのかな、で、2次試験で240人が受かるっていう試験なんですよ。

だから2次試験は7人くらいしか受けない。

この2試験何かと言うと、面接があるんですけど、よほど危険思想のやつだけを落とすっていう面接なんです。

そしたらなんと僕、面接で落ちたんですよ。酷い話です。

慶応高校に学力試験で受かって、面接で落ちた男、それが僕です。

危険思想の塊だったんでしょうか。

いや、今でも危険思想の塊だと思ってるので、もしかしたらその面接官、目が正しかったのかもしれません。

そんな形でとても勝負弱くて、第一志望には合格できずに滑り止めだった海城高校という高校に行ったんです。

で、海城高校って、今は偏差値70以上で、全国東大ランキングTOP10に入るすごい進学校なんですけど、僕の時代ってもう30年前なので、その時っていうのは、海城高校っていうのは、滑り止めぐらいな位置付けだったんですね。

で、そこの海城高校に入ったわけです。

入ったのはいいんですけど、中高一貫教育のところに高校から入ったので全然ついていけないと、ついていけない人ばっかりだと思うので、3月の春休みに春期講習をやって、みなさんに追いついていただきます、というふうに言われたんです。

その時に春期講習を担当した先生っというのが、入れ歯でフガフガフガフガ言って何言ってるか分からないっていう、先生だったんですよ。

そのお陰で数学さっぱりついていけなくなって、ものすごく数学が得意だったはずなのに高1、高2、高3とずーっと赤点ギリギリっていう、そういう生活になりました。

完全に数学は捨てるという、3年間送ったんですね。

で、数学だけではなくて、英語もできない 国語もできないという感じで、もう全て勉強が出来なくなって、高校1年生の時には偏差値が30まで落ちました。

正直このままだと、どこの大学にも受からないなと。

そのくらいのレベルまで、僕の偏差値は下がって行ったんです。

もうこのままだと、大学生になってモテモテになる、そんな人生を送るどころか大学にも入れない、そんな状況が僕の高校1年でした。

しかし、またここで奇跡が起きます!

受験の必勝法、瞬間記憶の能力で、全国模試1位

高校2年生の時に、すごくカリスマ的な英語の先生に出会うんです。

その英語の先生が、まず最初の授業で何を言ったか、この中で英単語を書いて覚えてる人、手を挙げてください。

全員手が挙がります。

この中で英単語を目で見て覚えている人、手を挙げてください。

誰も手が挙がりません。

ではこの中で英単語を目で見て覚える訓練を3ヶ月以上したことがある人、手を挙げてください。

誰も手が挙がらない。

なぜあなたは、やったこともないのに、最初から無理だと諦めているんですか?というふうに言われてそこで僕は頭をハンマーで殴られるような衝撃を受けました。

その先生が言うには、1単語1秒、目で見て覚えろ。

瞬間記憶の能力を身につけろ

英単語を使って、瞬間記憶を身につけた後には、瞬間記憶を使って英熟語をやる。

そして世界史にも応用していく、そうすれば大学は受験合格するんだというわけなんです。

大学受験の必勝法、それは瞬間記憶だ!ということを、高校2年生の時に学んだんです。

もう失うものはないので、騙されたと思ってやってみようと思って、瞬間記憶の訓練を3ヶ月続けました。

そうしたら3ヶ月で、英語の偏差値がなんと74になったんですね。

信じられません。もう大学どこも行けないんじゃないか、と思っていた人が、3ヶ月で偏差値74です。

そして世界史にも応用したら、3ヶ月でまた世界史の偏差値も70になりました。

そして高校3年生の時に、Z会の慶應大学模試で全国模試1位になるということが起きたんです。

自分で言うのもなんですが、全国模試1位です。

すごくないですか?慶應模試1位ですよ。
もう無敵の受験王だと思っていました。
にも関わらず、ここで高校3年生の12月に悲劇が起きます。

浪人生が勉強法の相談に来る事態に

なんと、石井貴士の勉強法は素晴らしいということが広まってしまいまして、二浪生が石井君どうやって勉強するの?っていう感じで、僕に毎日のように聞きに来るという事態が起きたんです。

で、僕それまで人と話さないで、勉強ばっかりしてきたので初めて人に頼られたのが、高校3年の12月だったんです。

で、朝から晩まで、二浪生の相談に乗るというのを12月、1月と繰り返していたんですね。

そうしたら本番の試験で、何が起きたかと言うとさっぱり問題を見て、何が書いてあるか分からなかったんです。

そして慶応大学経済学部、法学部、商学部に落ち、早稲田の政経、法学部、商学部に落ちるとそういう事態がやってまいりました。

合格可能性は80%が出ていたところを、6校受けて全て落ちた。

この確率何かって言うと、5分の1の6乗なので、1万5,625分の1なんですよ。

その確率でしか全て落ちられないにも関わらず、石井貴士は本番に弱くて落ちた、ということなんですね。

そして僕は、代々木ゼミナールで浪人をすることが決まりました。そして代々木ゼミナールの英語の授業、第1回の授業でまた悲劇が訪れます。

ちょうどその先生の時に、全国模試の結果が返されて来て、僕何と英語が200点 国語198点で全国で1位だったんですよ。

6万人中1位というのが、その時のテスト結果だったんですね。

そしたらその英語の先生が何と言ったか。
お前らこのテストで、1位になるようなやつにだけはなるなよ。

このテストというのは、代ゼミの浪人生6万人を対象にして行われるんだと。

ということは、この学年の中で日本で誰が一番勝負弱かったですか。一番合格に近いにも関わらず、落ちた人は誰ですかというテストなんだと。

だからお前ら、このテストで1位をとるようなやつにだけはなるなよって言って、会場中が大爆笑になったんですよ。

で、僕一番前の席で1位だったんですよ。

はい、なのでものすごくショックを受けました。

その時に下を向きながら、本当にボロボロ涙を流したというのは、今でも覚えてます。

で、そこで僕が考えたのはどういうことか。

ちょっと待てと成績を上げることに意味があるんだろうか、成績を上げても、全国模試で1位だったんだから、また1年頑張っても、全国模試1位になって落ちるんじゃないか。

そう思ったんです。そこで初めて気付いたんです。

自分の勝負弱さに気づく

僕は勝負弱いんだ!っていうことなんですよ。

高校受験では、第一志望の慶応高校に学力試験は受かっているのに、面接で落ちているわけです。

247人中7人しか落ちないのに、面接で落ちた!それが僕です。

そして大学受験に関しては、全国模試1位であるにも関わらず、どこを受けても受からなかったわけです。

これは僕の症状は、勝負弱い!っていう症状なんですよ。

成績が悪い、頭が悪いという症状ではない、ただ単に勝負弱すぎると。これが石井貴士なんだ。

しかもその勝負弱さというのは、日本全国で1位。
この勝負弱さが僕なんだっていうことを痛感したんです。

そこで僕はどうしたかというと、近所に住んでいるJ君という友達のもとを訪ねます。このJ君どういう男かというと、ものすごく勝負強い男です。

運動神経抜群で、イケメンでモテモテ。
サッカーをやっても、いつもゴール前にでシュートを決めるとか、いつも女の子から素敵〜♪って囲まれてるとか。そういう男の子だったんですね。

で、彼は成績が全然良くなくて、全国模試で1回も名前が載ることがありませんでした。

にも関わらず、大学受験で慶応大学の法学部・経済学部・商学部環境情報学部・総合政策学部、早稲田の政治経済・法学部・商学部、全部受かったんですよ!

全部ですよ!

全部受かったんです!

僕と真逆の男がいました。

このJ君に関しては、このJ君に関する動画ありますので、是非その動画もご覧いただけたらと思います。

で、このJ君にどうしたら僕は受かるんだと言う事を聞いたんですね。

そうしたら、こういう答えが返ってきました。

石井は見返すノートを作っていたの?って言われたんです。

見返すノート?何それ?って言ったら、試験の本番1週間前に見返す。
1ヶ月前に見返す、3ヶ月前に見返す。そういうノートを作り続けるんだと。

本番の時だけ偏差値70であればいい、他はずーっと馬鹿でいいんだと。
試験本番1日だけ天才になる、これが受験なんだっていうふうに言われたんです。

受験というのはピークコントロール。
この能力こそが重要である。
ずーっと成績が悪くても、その瞬間だけ成績を良くしていく、これが受験勉強なんだ。

で、石井は見返すはノートを作っていたの?って言ったら、全然作っていませんでした。
直前の1ヶ月2ヶ月が大切なんだけど、石井は何してたの?って言われて、二浪生のカウンセリングをしてましたって言ったら、それは落ちるに決まってるじゃないかと。
一番大切な時に、他の人の相談のって、どうするんだと。

大切なのはピンクコントロール、入試本番その日だけが頭が良くなるように、自分を持っていく、これが重要なんだっていうことを言われたんです。

そこで、僕はピークコントロールに目覚めました。

もう全国模試はどうでもいい、それよりも本番のピークに持っていくための見返すノートを作ろうということを、4月からやり始めるということに変わったんです。

せっかく勝負強くなるための、1年を送るんだから、慶応を目指すんじゃなくて東大を目指そうと思って、1年間東大を目指すことを決めました。

当時僕は東大の考古学部に入って、アトランティスとムー大陸の研究をしたいというふうに思っておりました。

僕が大学入試で落ちて考えたのは、慶応に行ってチャラチャラする人生と、東大行って考古学者になって世捨て人になる人生、このどっちかで行きたいなっていうふうに、なんかその時、閃いちゃったんですよね。

なので東大の考古学部を目指すという道と、慶応大学を目指すというこの2つの道に絞られたんです。

で、新たに数学の勉強を始めて、地理の勉強を始めて、地学の勉強を始める、そんな1年間を送りました。

誰よりも効率的に勉強する方法は、分かっていたので、東大も受かるんじゃないかなというふうに思ったわけなんです。

でも数学は3年間捨てていたので、偏差値30からのスタートだという時に、またここで奇跡が訪れます。

代々木ゼミナールの山本俊郎先生という先生がいらっしゃいまして、山本数学っていうふうに言ってるんですけど、その山本数学を習うことができたんです。

その山本数学て何かって言うと、教科書の勉強をするわけでもなくて、チャート式数学とかをやるわけでもなくて、1年後の入試本番にどの問題が出るのかをすでに予測しておいて、その予測している問題を解くためにはこの例題をやっといた方がいいよ、という感じで、逆算して数学を勉強するっていう数学だったんです。

なのでもう予言者みたいな感じで、慶応のベクトルだったら、この25問やっておけば、たいてい解けるみたいな感じで、とにかくテキストが素晴らしかったんですね。

で、その山本先生の数学を習った瞬間に、3ヶ月でまた偏差値30から70になりまして、そのお陰で突然、数学が得意になりました。

新たに地理も地学も始めたんですけど、これはまあね、もともと僕、勉強法が得意だったので、これも偏差値70近くに上げることができました。

ここまでやったら東大でも受かるだろう、というぐらいの勉強をしていました。

12時間から14時間勉強をする、というふうに決めていて、ずーっと休まず、本当1日も休んでないんじゃないかな。

そんな感じで、受験勉強ばっかりをしていたというのが、僕の浪人時代です。

だったら東大に受かったのかと言うと、これがまた勝負弱さというのがここで出たんでしょうか。

東大には落ちてしまうんです。

理由は何かというと、その年から数学の入試傾向が変わったんです。

なんで僕の年から変わるんだと、傾向と対策命だった僕にとって、傾向がその年から変わる最悪です。

しかもその数学の問題というのは、灘高校とか開成高校とか、そういう人にとってはとっても易しい問題だったみたいで、僕には全然解けなかったんですね。

しかも東大の数学って、空間図形の問題が1問必ず出るって言われていたので、空間図形をずーっと勉強していたんです。

そして二次曲線という単元は、過去20年1度も出題されていない。

だから二次曲線は捨てて、空間図形にかけるっていうふうに思ってやっていたら、なんと空間図形と二次曲線の融合問題が出まして、これで僕が数学が0点というこういう悲しい結果に終わるわけです。

他の得点はそこそこだったんですけれども、数学の傾向と対策が完全に外れて、東大には落ちるということになったんです。

では、慶応大学はどうだったのかと言うと、なんと補欠で合格したんです。

補欠A B C D E F G H Iまで発表されて、補欠Gまで合格で補欠Gが僕だったんです。

すごくないですかこれは?

これはまさに勝負強いと言っていいんじゃないでしょうか。

慶應模試全国1位だったのに、実際に受かったのはビリッケツ。こんな感じで僕は、慶応大学経済学部に合格するということができたんです。

大学時代

東大に行って考古学者になって世捨て人になる、慶応に行ってチャラチャラする。
もうこっちなんだと、慶応に行ってチャラチャラするぞというふうに思って、僕は慶応大学のテニスサークルに入りました。

テニスサークル、白百合女子大との提携とか、日本女子大との提携、フェリス女子大との提携、いかにもチャラチャラしてそうじゃないですか。

提携サークルに入ったんですけれども、ここでまた悲劇が訪れます。

そもそも僕は、運動神経がからきしない男です。

テニスサークルと言っても、握力が10とか15ぐらいしかなくて、ラケットを持っていられないくらいに、握力が低下していたんですね。なので、テニスが全くできない。

ラケットを振っても、すぐ握力がなくて飛んでっちゃうみたいな、そんな人だったんです。

でもテニスができなくても、その後のカラオケは楽しいんじゃないかと思ってカラオケに行ったんですけれども、その時にちょうど、あの鐘を鳴らすのはあなたっていうの歌っている人がいて、和田アキ子って誰?って僕聞いちゃったんですよ。

で、そこでこいつは、和田アキ子を知らないということで完全に変なやつだと思われました。

僕はずっとテレビを観ないで、勉強ばかりしてきた男です。

和田アキ子、知りません。

なのに和田アキ子を知らないと、馬鹿にされると、当時TM NETWORKの歌が流行っていて、で、僕が電撃ネットワークって歌出したんだって言ったら、こいつはTM NETWORKと電撃ネットワークの区別もつかないということで、さらに変な目で見られました。

せっかくモテモテになりたい!と思ってテニスサークルに入ったのに、テニスができないわ!カラオケの歌は知らないわ!ということで、全くモテない人生が待っていたわけです。

全くモテなかったので、テニスサークルを辞めることになります。

極めつけは東海大学のゆりちゃんって女の子がいたんですけれども、もうものすごい可愛い女の子でもうこんな可愛い子に出会ったことがないというくらいの子に僕出会ったんです。

で、なんとそのゆりちゃんが、僕と3回デートをしてくれまして、3回目のデートで、僕が振られたんです。

その振られた理由は何かって言うと、だって貴士君て、世界史の話しかしないんだもんって言われたんですよ。

ちょっと待ってくれ!とピョートル大帝の南下政策、君は興味がないのか?と。

ビスマルク鉄血宰相だよ?みたいな、そんな話をしたら興味あるわけないじゃん!って言われて、僕がかつて読んできた本っていうのは世界史の教科書とかばっかりなわけですよ。

そんな僕が女の子と話すためのネタがない、何を話していいか分からないということで、自慢げに世界史の知識を披露していたんですけれども全くこれが受けていなかった、ということが分かって、もうこれはダメだと。

人としゃべったことがない、テレビを観たことがない、こんな人がモテるなんて無理なんだ、何かリハビリをしなきゃいけないんだって思ったんです。

そこで僕が思いついたのが、演劇サークルに入るってことだったんですよ。

演劇っていうのは人前に出ますよね、ということは人前でしゃべれるようになるじゃないか、人前でも緊張しなくなる、当然、女の子と話しても緊張しなくなるんじゃないかと思って、演劇サークルに入ったんです。

なんですが、これ演劇サークルに入ったにも関わらず、全く演技ができなかったんですね。

で、僕の特徴っていうのは、手と足が同時に動いてしまうっていう人いると思うんですけど、そうじゃなくて足が1回動くごとに手が2倍速で動くって、こうやって歩く人だったんです。

だからこうやって何で歩くんだと、その動きに意味あるのかって言われて、意味ないんですよね。

僕、歩く時に左手が全く動かなくて、右手だけ2倍速で動くっていうくせが47歳の今でも、僕はそんな変な歩き方をしています。

それで歩き方も変なので、こいつは使い物にならない役者だということになって、完全に僕、麻雀要員になりました。

それで人前も苦手だというところで、大学2年も終わりを迎えるんですけれども、そんな時大学2年のクリスマス12月25日に僕の人生を変える出来事が起きました。

それが逸見政孝アナウンサーが亡くなる、ということだったんです。

逸見政孝アナウンサーがきっかけ

この逸見さんが亡くなったことで、僕も逸見さんみたいになろう!

だからアナウンサーになろう!っていうふうに思えたんです。

逸見さんどういうところが好きだったのかというと、もともとはモテなかったんです。モテなかったんだけれども、彼女ができた。
その彼女に大学受験で落ちた、ということが理由で振られるんですね。

浪人生とは付き合えないと彼女に言われたそして彼女のお母さんに、文句を言いに行ったんです。

酷いですよ、お宅の娘さんが大学受験で落ちたことを理由に僕を振ったんですね、酷くないですか?っていう話をしたら浪人生はうちの娘と口聞かないでくれるっていうふうにお母さんから言われて、で、ふざけるな!と。

絶対に見返してやる、この親子、じゃあどうやったら見返せるのか、そうだ!テレビに出れば見返せるはずだ!テレビに出よう!役者としてはイケメンじゃないから無理だ、歌手も上手くいくはずがない。

そうだ!アナウンサーになればいいんだ!

特に夕方6時からのニュース番組をやりたい、月曜日から金曜日までの夕食の時間帯にテレビをつけたら自分がイエイ!ってやっていたら、それはあの親子に対する一番の復讐になるはずだ!

そうだ俺はニュースキャスターになる!と言って、1年間猛勉強を始めて早稲田に受かったんですね。

で、早稲田にいる4年間で、関西弁を克服して本当にフジテレビのアナウンサーになって、夕方ニュースキャスターになったと。
ここに痺れました。

そしてもう一つ、逸見さんのエピソードで、好きなエピソードがあって、結婚する時に突然歩いてる美女に声をかけて、結婚したっていうこれが好きなストーリーだったんです。

浜辺を美人姉妹が歩いていて、すいません、僕フジテレビのアナウンサーの逸見って言うんですけど、僕と結婚してくれませんか?

これ僕の電話番号です、っていうふうに渡したらしいんですよ。

そうしたらそんなはずがないだろう、アナウンサーの人いきなり結婚してとか言ってこないだろうと思って、家に帰ってテレビをつけたら、本当にさっき声をかけた人がテレビに出ていたと。

それで連絡を取って本当に結婚したっていう、このストーリーも大好きで、その話を聞いていいなぁ、テレビに出られるようになれば、いきなり美女に結婚してって言って結婚してもらえるんだ、逸見さんみたいになりたいなー!っていうふうにっと思ってたんです。

その逸見さんが亡くなってしまったと。

そして僕はどう思ったか。

そうだ僕が逸見政孝になろう!

多くの人を勇気づけるためには、アナウンサーになればいいんだっていうふうに思ったんです。

もちろんそれまで、もともと人と話したことが一切ありません。そんな男でした。

ですが、逸見さんが亡くなった。

だったら俺が人を勇気づけるに値する人間になるんだと言って、アナウンサーを目指すことにしたんです。

すぐにアナウンス学校のパンフレットを片っ端から取り寄せて、アナウンス学校に入りました。

せっかく入ったんですが、当然人前に出たこともありません。

全く人としゃべれません。

「今日の天気は晴れです」というのが、ずーっと言えなかったんです。「今日の天気はハデです」っていうふうになっちゃって、「晴れです」が言えない、「ハデです」になっちゃうっていう。

もうここからのスタートです。

それで家でずーっと1人で、原稿読みをする毎日が続いたりとか、野球実況とか、そんなに野球も知らないのに、野球実況の練習を神宮球場のバックネット裏で、「ピッチャー第一球投げました」っていうふうにやったりとか。

そんなふうに猛特訓をして、アナウンサーになろうというふうに頑張りました。なのですが、もともと人と話したことがありません。ここに関しては全く変わっていません。

母親からも、絶対にお前はアナウンサーになれない、と言われていました。

だってあなた友達いないでしょ、人前に出たことないでしょ、テレビに出たことないでしょ、じゃぁどうしたらあなたがアナウンサーになれるって言うの?というふうに言われていました。

確かにその通りです。

生まれた時から、ずーっとそばにいる母親が、最も石井貴士はアナウンサーに向いていないと思っていたわけなんです。

でも僕は、どうしてもアナウンサーになるんだと思って努力を重ねていました。

そして実際に、アナウンサー試験がやってきます。

TBSもフジテレビを日本テレビも、全部一次試験で落ちました。もともと人と話したことがなかった、ということもあって、全く面接も太刀打ちできませんでした。

大阪も読売テレビとか、ABC朝日放送とか受けましたよ。

まったくダメです。

でも諦めずに、北海道から沖縄まで全部受けるんだ、俺はアナウンサーになるんだと思っていたら、なんと奇跡が起きたんです。

その放送局というのは、一次試験が作文だったんですよ。

350人受けて40人まで作文で絞り込むっていうところで、作文で今作家もやってますし、小論文でも全国模試トップクラスだったんで、小論文で僕が負けるはずがありません。

ここで40人になりまして、その後何と筆記試験が行われたんです。

筆記試験です。

周りのアナウンサー志望の連中っていうのは、人としゃべるのが好き、友達がいっぱいいる、そんな連中ばっかりで、勉強してきていない人ばかりです。

そんな中、僕は、人と一切しゃべらずに、勉強だけしてきた。

代ゼミ模試1位、全国慶應模試1位の男なんです。筆記試験で、僕が負けるはずがありません。

そうしたらなんと僕が、男性3人女性3人まで残ることができました。

そしたら最終試験の時に女性3人が来なかったんですよ。

試験会場にというのも、3人は他のテレビ局に既に受かってしまったそうで、結局男性3人から選ばれるということになりました。

3人のうちの1人は、既に他のテレビ局に受かっていたので、他の局に受かってる人を引っ張ってくるわけにはいかない、ということで、彼ではなくなりました。

そしてもう一人が、慶應でイケメンでしゃべりが上手いっていう、僕は完全に勝てない相手だったんですよ。

なんですが、ここで奇跡が起きます。

彼がプロレス研究会出身だったんです。

というのも、既に僕がいた放送局にはいつもプロレスの話ばかりをしている、先輩がいたわけなんです。

プロレス好きは2人いらないという理由で、彼が落ちて、消去法で僕が残ったということで、350人中1人、奇跡が起きて内定した、それが僕でした。

しゃべりが下手だったにも関わらず、作文の能力と筆記試験の能力と、消去法で僕は350人中1人、内定をとりました。

そして僕は晴れてアナウンサーになる、ということができたんです。

アナウンサー時代

で、アナウンサーになったらもうこれは人生勝ち組かと、これ一生安泰だと思って、僕も入りましたよ。しかしアナウンサーの世界、厳しいです。

全く甘くありません。

皆さんものすごくしゃべりが上手いです。

入社1日目に僕は辞めようと思いました。なぜかと言うと、先輩アナウンサーが上手すぎたからです。

一生勝てないと思いました。

で、実際アナウンサーになった後も人前であわあわとか、全然しゃべれなくて、ドジってばっかりとかそんなのが僕だったんですね。

アナウンサーにはなったけれども、アナウンサーとして活躍できたかというと、やっぱり活躍できないんです。

サッカーってゴールデンエイジってありますよね。

14歳までにサッカーをずっとやっていなければ、その人は将来あまり上手くならないっていうのと一緒で、アナウンサーも子供の頃、やっぱりいかに多くの人としゃべっているか。

これが重要なんですね。
にも関わらず、僕、中学1年から浪人まで、誰ともしゃべってませんから、それでいて芸能人の名前も分からないんですよ。

僕ラジオの番組で、次はモーニングっこのLOVEマシーンって言ってめちゃめちゃ怒られました。

モーニング娘。って読むの!?みたいな。

そこも分からなかったんですね。

なんといっても和田アキ子を知らない男が、アナウンサーになったわけですから、芸能人の名前もさっぱり分かりません。

アナウンサーにはなったけれども、そもそもしゃべりが下手すぎる。そんな中、全く上手くいかないアナウンサー生活をずーっと送ってたんですね。

プロとしてお金をいただいているのに、その仕事が全くできない。これは本当に辛いです。

そんな中、入社4年目のある日、奇跡が起きます。

たまたま原宿の竹下通りを歩いていたら、占い館っていう看板が見えたんですよ。

占い館!馬鹿だなぁ!占いなんてよっぽど心が病んでるやつか女子高生しか行かないんだよなー!って思って歩いて、足が止まったんですよ。

ちょっと待て!とよっぽど心が病んでるやつって俺のこと?

たぶん半径5km 半径10kmで、俺よりも心が病んでるやつはいない、そうやって思ったんです。

僕は当時、朝起きるたびに生きててすいません!って言って、起きたんです。

なぜかと言うと、こんなしゃべれない僕が、アナウンサーをやって、いろんな人にご迷惑をかける、なんで今日も僕は生きていたんだろう。っていう感じで、生きているのが嫌だ、生きているのが嫌だ、っていうふうに思いながら、毎日毎日生きていたんです。

だから僕より、心が病んでるやつはいないんだから、占い館は僕のためのものだって思って、地下の階段を下っていったんですね。

そしたら、たまたま偶然に、ものすごく当たる占い師さんの方で、いきなりこう言われたんです。

あなた地方に住んでるよねって言って、あぁ、その通りです。

仕事全然上手くいってないでしょ、いや、そりゃ上手くいってないですけれども、僕のね、全く上手くいってないのを全く上手くいってないの、本当に一言で片付けるんだみたいな感じで、ショックを受けました。

では僕はどうしたらいいんですか?っていうふうに聞いたら、あなたは東京に出てきたら、作家と起業家で成功します。

あなたのスイートスポットは、作家と起業家ですと言われたんですよ。

ちょっと待ってください!スイートスポットって何ですか。

全く聞いたことがない言葉なんですけど、っていうふうに聞いたら、その女性占い師の方が答えてくれました。

どうすれば人は成功するのか、これに関しては既に答えが出ています。

人は生まれつき、3つのスイートスポットを持って生まれてきます。

このスイートスポットとなる職業をやれば、成功するけれどもそれ以外の職業をやっても成功しない、例えばイチロー選手であれば、野球をやったら成功するけれども、サッカーをやったら成功しない。

サッカーの中田英寿選手であれば、サッカーをやったら成功するけれども、野球だったらきっと成功しなかったはずです。

この3つのスイートスポットを知って、その職業をすれば、その人は成功するんです。
これがスイートスポット理論です、っていうふうに言われたんです。
もうものすごく衝撃でした。

僕アナウンサーとして、努力してるんですけれどもダメなんでしょうか?って言ったら、あ、ダメですね、スイートスポットじゃないんでって言われました。

でも僕はベストセラー作家で、起業家にはなれるというふうに言われたんです。

そこで僕は毎月のように、その占い師さんのところに通うようになって、今月はどうでしょうか?今月はどうでしょうか?とか聞いても、まあ全部ズバズバ当たるので、本当に占いの世界は凄いな、特にやっぱ当たる占い師さんで凄いなというふうに、その時に思いました。

で、入社4年目から5年目にかけて、ずっと文章を書く練習をしていたり、ビジネス書を読んで、どうやって起業できるんだろうということを考えたりしていました。

そしてその当時、石井貴士のスマイルクルーズという2時間生放送をやっていたんですけれども、これは中高生を勇気づける!というコンセプトの番組だったんですね。

僕が一番やりたい番組、それを担当させていただいていたということなんです。

で、その放送をしながら、僕が人を勇気づけていいんだろうか。

僕にはアナウンサーに内定したという経験と、慶応大学に合格したという2つしか成功経験はない、こんな自分じゃ人を勇気づけるに値しないんじゃないか。

ここでアナウンサーを辞めて、ゼロからスタートして、そこからビッグになったら、多くの人を勇気づけられる自分になれるんじゃないか。

そうやってある朝、ふと思ってしまったんですよね。

思ってしまったら、やっぱり止められません。

本当に会社に辞表を提出して、ゼロからスタートしてビッグになるんで、もう会社辞めますって言って会社を辞めるということになったんです。

だから僕丸5年でアナウンサーを辞めて、ゼロからスタートしたんですね。

ゼロからスタートの起業

で、そこから5年間で自己投資を1,000万円したりとか、とにかく勉強勉強の毎日で、そして家ではボツ原稿を書き続けると、そんな毎日でした。
そして2003年3月にココロ・シンデレラという名前の会社をつくります。

これは一夜にして、人生が変わる魔法の情報を提供する、というミッションで作られました。今創業17年を迎えています。

そして最初は、女子アナに内定する方法というの売って、月商20万円。

そして就職学生に、こうすれば内定するっていう方法を売って、月商200万円。

そしてそこで、そうだ!こうやったらビジネスを起こすことができる!という、ノウハウを売ろう、何もしないで月50万円上の収入があるので、これを「プチリタイヤ」と名付けて商標登録をして、プチリタイヤする方法を売ろうと思って2003年9月に何もしないで月50万円!幸せにプチリタイヤする方法という、メールマガジンを発行したんですね。

そしたらそれが大当たりしまして、月商500万円になりました。

で、その後、月商が1,000万円くらいになったりとかして、結局5年間で当時日本の起業志望者の組織としては、最大規模の2,000人という会員制の組織を作ってそれを2008年に終了していったんです。

この2003年 2004年 2005年とかもいろいろ紆余曲折があるんですけど、2003年にプチリタイヤを始めて、初めての本も2003年に出して、2004年にはプチリタイヤの本も出して、累計で10万部になりました。

2005年にはココロ・プラネットっていう、SNSをつくったんです。このSNSが大失敗で8,000万円のマイナスを抱えてしまいます。

今Facebookでいいね!ボタン当たり前になってますけど、それ僕が2005年に作りました。今Facebookで記事シェアできますよね。

そのシェアボタン、記事をシェアするという概念も、僕が2005年にココロ・プラネットで作ったんです。

僕は当時何を考えていたのかというと、ネットショッピングはうAmazonに取られてると。

検索エンジンはGoogleだ、ポータルサイトはYahoo!だ、ここで勝てるのはSNSしかない、SNSで世界の覇権を握るんだと思ってつくったのが、2005年だったんです。

時代が早かったです。

僕がココロ・プラネットをつくった、3年後にFacebookが現れました。

そして僕は2008年に完全にお金もなくなり、プチタイヤという会員制組織も閉じるということになりました。

なのですが、ちょうど同時期2008年8月にこちらの、本当に頭が良くなる1分間勉強法という本がこれがなんとベストセラーになって、年間ベストセラー1位になりました。

2009年度年間ベストセラー1位がこの本なんですね。

ということで、この本ではね、1冊1分で本を読むとか、そういった方法を紹介していたんですけれども、1冊1分で本を読むというセミナーを僕がメインの活動になっていきました。

それだけ本が売れたので、もう完全にベストセラー作家と名乗っていいんじゃないかな、というレベルに達しました。

そして1冊1分で本を読む、1分間勉強法のセミナーをしながら、スイートスポットを見つけるSFT講座の講座を開催していて、もうこのまま僕人生終わるんだな、というふうに思っていたんです。

なんですが、2009年年間ベストセラー1位、そこから2010年くらいまで持ったんですけど、2011年 2012年で急激にやっぱりね、本の売上っていうのは下がってくるわけんですよ。

突然お金がなくなってきたんです。

そこで当時僕は、スピリチュアル系の師匠と仰いでいた先生のところに行って、どうしたら売上が上がるんでしょうか。まずいです。もう会社が潰れそうです。っていう話をしたら、

石井さん選挙に出てください、2012年の衆議院選挙です。そこに出れば、石井さんの運命は変わりますっていうふうに言われて、そこで実際に僕は2012年衆議院選挙に出ることになります。

結局、自民党の公認候補にはなれずに、他の政党から立候補することになったんですけれども、小選挙区で6人中6位で供託金も没収されて、選挙資金で1,200万円がなくなりました。

当時僕貯金1,200万円でした。

ちょうどすっからかんになったのが、2012年の末だったんです。

で、そのスピリチュアル系の師匠の方に、落ちたじゃないですか、最悪じゃないですか、みたいな話をしたら、いやいや、ここで時空が変わったんで、こっから石井さんV字回復ですんで、て言われて。

本当にそこから、ベストセラーがどんどんと出るようになって、そしてまた盛り返していって、累計で200万部になったということなんです。

そうやって盛り返しながら、スピリチュアル系の事を10年近く学んでいまして、占いに関しても、西洋占星術・タロット・紫微斗数ルーン占い・易占い・梅花心易あとビジョンリーディング、サイコメトリー・姓名判断・マヤ暦とかほとんどの占術に関して、僕はできるようになりました。

そんな感じで僕は、勉強をしながら地道にセミナーを開催するという形だったんですけれども、何とかYouTubeをブレイクさせたい、これからはYoutubeの時代だというふうに思って頑張ってきたんです。

なんと2014年からYoutubeを始めて、600本動画を投稿しました。

全くバズらなかったんですが、なんと600本目でスペイン風邪の動画が26万再生という、バズりを見せまして、そのお陰で突然YouTube、多くの人に観ていただけるようになった、これが今の僕です。

とてもアップダウンが激しいです、激しすぎます。

でもなんか全てが繋がっているな、という感じがするんですよね。

勉強ばっかりしていたから、勉強法の方がヒットしたり、アナウンサーをしていたお陰でこのYouTube撮影が全く苦になっていなかったり、スピリチュアル分野も10年以上勉強していたお陰で、ビジョンリーディングができるようになったり、そのお陰で石井貴士オンラインセミナーが人気になっていたりと。

それが今の僕の状態です。

では、石井さんの将来の夢は何ですか、と言われるんですが、将来の夢は、天才プロジェクトを実行に移すことです。

天才プロジェクトの動画、概要欄に貼っておきますので、是非観てください。

これは僕が時空ジャンプというのやってる時に、400年後の未来から、こうすれば戦争はなくなる社会が訪れるという答えを既に僕は取ってきてしまったんですね。

ならばそれを現実化するのは石井貴士しかいないかー!ということで、誰か僕に100億円ください。

100億円くれたら、それをやります。

というのが、天才プロジェクトで気になっておりますので、是非この動画を観ている方で100億円?そんなの余裕で石井貴士にあげるよ、という人がいたら、是非とも連絡をお待ちしております。

よろしくお願いいたします。

②石井貴士のミッションを紹介します 人生は変えられる!そのことを伝えたい そのために生きてます

僕にはミッションがあります。

ミッションというのは、使命というふうにも訳されるんですが、このために生きていく、これを貫いて生きていくんだという、これがミッションですね。

僕の場合は人生は変えられる、そのことを伝えたい、ずーっとそれを思って生きています。

僕はもともと、勉強ができませんでした。でも勉強法を編み出したことによって、偏差値が70になりました。それを実際に本にしたのが、この1分間勉強法です。

そして1単語1秒目で見て覚える、それを実際に本にしたのが、この1分間英単語だったりします。

人と話したことがない、そんな状態から僕はアナウンサーになりました

そしてゼロからスタートしてビッグになったら、多くの人を勇気づけられるんじゃないかと思って本当にゼロからスタートして、ベストセラー作家になって、年商1億円を稼げるようになりました

人生は変えられる、僕ほど低いスタートラインから人生を変えてきたっていう人はいない、と思ってます。

しかもいろんなジャンル、勉強ができないところからできるとか、お金がないというところから、1億円以上稼いだりとか、本を全く書いたことがないというところから、ベストセラー作家になったりとか、YouTubeに関しても600本バズらなかったけれども、やっとブレイクしたいとか、とにかく何度も何度も人生を変えていく、こういうことをやり続けていて、どうすれば人生が変わるのか。

それに特化して、17年事業をやっているって言うのは僕くらいしかいないんじゃないかなと思います。

直接、石井貴士と話したいという人は、人生は変えられるVIP会員っていうのもやっていますので、概要欄に貼っておきますので、是非そちらもご覧いただけたらと思います。

③石井貴士 人生は変えられる チャンネル紹介します。人生が変わる魔法の情報の提供、人生が変わる本の紹介、人生は変えられるインタビュー

ではこのチャンネルはどういうチャンネルなのか、ということを紹介していきます。

僕のミッションは人生は変えられる!そのことを伝えたい!ということなので、あなたの人生が変わるような動画をどんどん作っていこう、というふうに思っています。

様々なテーマで人生が変わる情報を提供していきます。

人生が変わる情報かどうか、それがこのチャンネルの編集方針です。

人生が変わるんだったら、紹介するけれども、人生が変わらないなら紹介しない、そういったスタンスです。

例えばコロナとか地震とか、第三次世界大戦とか、そういったことに関しては、知っておかないと大変になるので、人生が変わる情報だと思うので提供していきます。

実際に地震が起きて、今のところに住めなくなったら、人生が変わるはずです。

政治体制が変わってしまったら、人生が変わってしまうので政治についても取り上げます。

僕は実際に衆議院選挙にも、出たことがあるので、政治は結構詳しいです。

ビジネスについても取り上げます。お金持ちになったら人生変わりますよね、だからビジネスについても当然やります。

スピリチュアル分野に関しても、知ってるか知らないかで、人生が変わる情報いっぱいありますので、紹介していきたいと思っています。

とにかく人生が変わるかどうか、それが基準で動画を作成していく、というのがこのチャンネルの方針です。そして人生が変わるための本の紹介もしていきます。

僕もともと1冊1分で本が読めるというやり方を教えていた人なので、本を読むのは得意です。

人生が変わる本っていうのもいっぱいありますので、紹介していきたいなと思ってます。

そして人生は変えられるインタビューということで、人生が変わったという方にもインタビューをしていきたいと思っていますので楽しみにしていてください。

このチャンネルは、人生を変えたいというあなたのためのチャンネルです。

いやー、このままでいたい、人生何も変わりたくないんだという方のチャンネルではありません。

人生は変えられる!

そのことを伝えたい!

これが僕のミッションです。

人生は変えられる、この言葉に共感していただいた方は、是非、今すぐにチャンネル登録をしていただきたいなと思います。

今回は石井貴士 人生は変えられる、改めて自己紹介とチャンネル紹介をします、というテーマでお届けしました。

人生を変える3つのポイント

①石井貴士自己紹介します 3ヶ月で偏差値30から70に 人と話したことがなかった状態からアナウンサーに ゼロからスタートしてベストセラー作家に

②石井貴士のミッションを紹介します 人生は変えられる!そのことを伝えたい そのために生きてます

③石井貴士 人生は変えられる チャンネル紹介します 人生が変わる魔法の情報の提供 人生が変わる本の紹介 人生は変えられるインタビューということでお伝えいたしました。

今回もご視聴ありがとうございました。

石井貴士を応援したいよー!という方は、是非チャンネルメンバーシップもありますので、参加していただきたいなと思います。

石井貴士と直接話したいという方は、人生は変えられるVIP会員をやっていますので、是非そちらも参加していただけたらなと思います。

人生を変える学びがあったという方は、是非これからもこのチャンネルをよろしくお願いいたします。





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